本というメディア
2020-03-14
Canon G9X。
コロナウイルスのせいか閑散としていた。朝から降り続く雨が、昼過ぎに雪に変わった寒い日だった。
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電子書籍へ以降して久しいものの、いまでも大きな書店を訪れるのはとても楽しい。良くも悪くも、自分の関心とは関係なくいろんな本が視界に入ってくることで、偶然的な出会いが生まれるから、ということだと思う。
他方、Kindleストアでは自分の過去の買い物に基づいてレコメンドされるので、こういう本屋でぶらついているときのような予期せぬ発見はあまりない。これまでに買ったものに関連した、同じようなものが提案されるだけだ。
やがてビッグデータの統計処理や、AIによる学習で、こういう偶然もきっと再現されるようになるのだろう。あまりこういうものはお読みでないですが、もしかしたら気にいるかもしれません、と。
物理書店をさまよい歩いて見つけたときの達成感も、書店そのものをVRで再現したならば、もはや差はない。紙の本だってVRで再現してしまえば、電子書籍の物足りなさに文句をいう人はいなくなるだろう。
ただ、それができるならば、そもそも活字や図を紙に印刷して綴じたメディアにこだわる必要がなくなる。
というか、活字や図だって一つのメディアでしかない。いずれ観念を観念のまま、文字にコンバートせずに他者へ伝えることができるようになるだろう。文字なしで観念を抱くことができるのかどうか、自分には想像もつかないが。